
なぜ、このタイトルがついているのか。それは、もも紅茶がわたしの人生に大きな影響を与えているからである。
わたしは高校卒業後、就職する予定だった。しかし、その就職のための二次試験後は、かなり深刻にその後の進路について考え込んでいた。オーストラリアで羊でも飼おうか。などと。
というのも、一次試験は通過したものの、二次の面接に遅刻してしまったのである。
万全の準備をしたつもりだったのだが・・・
一次試験を通過したのは、同じ学年にもう一人いた。
彼とは体育の授業が一緒だった。授業前のアップで運動場を走りながら、二次試験にどうやって行くか話してみた。
わたしは前日から現地にのり込み、前泊して試験場に行くつもりだった。
その時すでに進路指導の先生に紹介してもらったビジネスホテルを予約していた。
試験場までは電車で約3時間。8時30分に間に合うためには5時30分発の電車ではきびしいと判断したのだ。
ところが彼は朝一番の電車で会場に向かうと言う。
わたしは彼に忠告した。
「遅刻したらまずいんじゃない?社会(世の中)は学校と違って甘くないよ。」
試験前日、私鉄とJRと新幹線を乗り継いで試験会場のある場所に到着した。
服装は、詰襟の学生服。3年生だというのに買ってまだ1年も着ていなかった。そのころ主流だったセミショートタイプだった。
ズボンは、すこしテーパーの、あまり太くないものにした。
ビジネスホテルは駅からあるいてすぐだった。先生の説明どおり、迷わずに着いた。
チェックインのときに、フロントで試験会場の名前を言って、場所を聞いた。
「この道を北へ行って、線路をくぐって左に行ったらすぐですよ。」
念のために時間を確認してみると、5分もかからない。ということだった。
わたしの選択はベストだったと確信した。余裕を持って試験に臨むことができる。
部屋は和室だった。
ところが、驚くなかれ、なんと15畳という広さである。一人で寝るにはもったいなくて仕方なかった。が、そこしか空いてなかったらしい。とても得した気分。ともいえなくもないが。
夕食は、緊張のためか、あまり食べたいとも思わなかった。一人で外食、というのに慣れていなかったこともある。
夜遅くなって、やはりお腹がすいてきた。それで、ホテルの中の自動販売機コーナーでカップヌードルを買った。
ところが、買ってから気づいた。その自販機には割り箸もフォークもなかった。
フロントに行くのも恥ずかしいし、めんどくさいし、わたしは考えた。
近くにあった自動販売機で歯ブラシを買った。
歯ブラシの柄でカップヌードルを食べた後、その歯ブラシで歯を磨き、寝ることにした。
問題は、どこで寝るか。である。15畳の部屋で寝ることを想像していただきたい。
2年生のときの修学旅行なんか、24畳くらいの部屋に20人寝かされた。
中学のときの富士登山だって、9合目の山小屋で、3人で2枚くらいの布団に寝なければならなかった。
アメリカと日本ほどの差(面積)があるが、わたしは日本人なので、あまり広すぎても、どうやって寝ようか、悩んでしまう。
ど真ん中、端、3分の1、4分の1、8分の5、あらゆる場所を考慮した末、結局、テレビの近くにした。
寝る前に、もう一度、適性試験(知能テストのようなもの)の練習だけして、寝た。
いよいよ当日。目覚めはまずまず。和食の朝食をとり、部屋に戻った。
テレビをつけると、NHKの朝ドラがやっていた。たぶん、「京、ふたり」だった。
終わって、民放に切り替えた。どのチャンネルでもその時間はワイドショーのような番組ばかりである。
9時に会場に行くためには、5分といっても余裕をもって・・・
ん?9時?あれ?
あわてて通知を見直した。
やばい。8時30分集合だ。
もう過ぎてる・・・
とにかく慌ててチェックアウトし、会場まで走った。
ビルについた。試験会場は5階だった。エレベーターを待っていたが、そんなときに限って(も限らなくても)、なかなか降りてこない。マーフィーの法則にこんなのあったんだろうか。
待っている時間もないので、あきらめて階段を走って上った。持久力はないほうだが、高校生なので、10代、という若さにまかせて走った。なんとか上れた。
試験会場のドアを開けると、50人ほどの受験生の視線が突き刺さるようにわたしに注がれた。
わたしが忠告した、同じ学校の彼は、一番前の席に座っていた。(座席は番号順。先着順ではない。)
彼は、くすくす笑っていた。かどうかはわからない。わたしは彼の顔を見ることができなかったのだ。
もうすでに適性試験の用紙は配布されていた。が、幸い、試験は始まっていなかったようである。
学校に帰って、担任の先生に試験の報告をした。
「なにやってるだー!」と、呆れながらも、心臓に毛が生えていると誉められた。
ゆとりを持っていると、気が抜けてしまうこともある。
「用事は忙しい人に頼め。」と言われるとおりである。
余裕があって、失敗してしまうのは、余裕があることが悪いのではなく、あると思っていることが原因なのである。
余裕があるのは決して悪いことではない。かえって望ましいものである。
もも紅茶を見たとき、わたしは、その発想に、非常なゆとりを感じてしまったのである。
企画する人は一所懸命だったのかもしれないが、発売されて、それを見、飲む人に余裕を与えるような傑作だとわたしは思う。
もも紅茶を飲むと、忙しすぎる生活を捨て、こころにゆとりを持つことができる。そうすれば他の人に優しくできるはずである。
