asics TIGER

いま頃は、やっと歩けるようになった幼児が New Balance なんかを履いているのを見ることがあるが、わたしが小学生だった1980年代、子供はアシックスなんて知らなかった。

あしっくすってなに?

わたしとアシックスとの出会い、それは小学校5年生の時である。
わたしはそれとは知らず、アシックスのラインに似たクツを履いていた。

すると、中学生の友人が、

「それ、アシックス?」
と聞いてきた。

24

とわたしは答えた。年齢ではない。クツのサイズである。
普段23センチなのだが、そのクツはぶかぶかの24で、サイズが大きいことがちょっと誇らしかった。

アシックスを知らないわたしには

「それ、足いくつ?」

と聞こえたのである。
ちょっと気の利いた人(?)なら「2本」とでも答えるのであろうが、わたしはまじめだった。
わたしは「アシックスとは何だ?」と思った。彼が教えてくれた。
思えば、彼はアシックスのネバダという定番のクツを履いていた。
アシックスというものを知ってから、よくよく見てみると上級生や学校の先生たちも履いていた。

The long and winding road.

それ以来、わたしはアシックスが欲しくてたまらなくなった。
それ以前までも、わたしはクツが大好きだった。

母にアシックスを買ってきてと頼んだ。母は、市内の靴屋さんで買ってくれた。
買ってきてくれることになっていた日、わたしは学校から急いで帰った。クツを見た。

なんと、ジャガーΣ。それもクラリーノのようなレザー。
わたしは泣いた。交換してきてもらった。
でもその靴屋にはアシックスはなく、布製のジャガーで我慢した。
あとで確認すると、その靴屋にはNIKE のテニスシューズみたいなものは置いてあった。
そのNIKEはなんと読むのかわからず、母に頼むこともできなかった。

「おはようサンデー」という、毎週日曜日放送される小学生のロードレースのTV番組があり、そのレースの商品にNIKE のシューズがあった。でもいつもその商品の説明のときだけ聞き逃してしまい、なんと読むのかは知らなかった。

「おはようサンデー」は基本的に皇居一周5キロのコースを走るのだが、たまに地方でのレースもあった。わたしの学区にも「おはようサンデー」が来たことがあった。わたしは長距離が苦手だったので参加しなかったが、弟は少し早いほうだったので、たぶん入賞するつもりで参加した。
ところが、弟は参加賞のスポーツドリンクTAKEDAのボトルだけもらってかえってきた。
レース直前、小さい子供の頭が弟の鼻にあたり、鼻血が出て、ドクターストップで走れなかったらしい。

それはさておき、そのころ、クツだけではなく、Tシャツ、バッグなどもスポーツメーカーのモノが流行った。
クラスのほとんどは PUMA,adidas,asics などのTシャツにジョギングパンツといった格好だった。
わたしはノートのあちらこちらに、各メーカーのロゴ、マークを書いていた。
家でオムライスを食べる時には卵の上に、アシックスやランバードのラインをケチャップで書いていた。
わたしの頭の中はそれらでいっぱいだった。

次にクツを買ってもらうとき、ある店でクツのセールをやっていた。スポルディングが安くなっていた。
わたしは、なんとなくそのメーカーを知っていたので、それで妥協してしまった。
アシックスに対するわたしの熱意はそんなものだったのだろうか。
それから約半年後、やっとアシックスを買ってもらえたのである。

マークル

わたしはスポーツ店に行った。横向きにディスプレイされるアシックスはやはりかっこよかった。
一番わたしの目を引きつけたのはターコイズブルーにシルバーのラインが入った、エリーというものだった。
そしてもうひとつ気になるものがあった。マークルだった。
それはEVAミッドソールのかかとの部分に丸い穴が3つあいていた(大きいサイズは穴が4つ)。
わたしにとって、それはとても画期的なことだった。

どちらにしようか迷ったが、エリーがレディースだったために、マークルにした。
わたしは、はっきりいって、どちらでもよかった。asics TIGERが履ける。それだけで最高の気分だ。
家に帰って、黄色い箱を開ける。その瞬間広がるなんともいえない、アシックス独特の匂いに満悦した。