
カルガリーからバンクーバーへはレンタカーでTrans Canada を走り、夜になったらモーテルを探す、という計画だった。
友人がカルガリーのBudget レンタカーに行っている間、わたしはいつものように、ステイ先のJohnson宅のビッグウインドウから外を眺めていた。
家の前に1台のアメ車がとまった。
カナダで走っている車の大半は、さほどきれいではないアメ車なのだが、その中では、ずば抜けてきれいで、おやじ臭さのあるものだった。それはLINCOLN Town car、肌色のメタリックだった。
それから降りたのはわたしの友人だった。
わたしたちにラグジュリークラスなんて借りる余裕はないのに。これがカナダのコンパクトクラスなのか?
友人は興奮して戻ってきた。それも無理はない。コンパクトクラスを頼んだら、その料金で高級車を貸してくれるといわれたのだから。
きっと誰かがバンクーバーで借りて、カルガリーで乗り捨てたのか、ナンバープレートはBeautiful British Columbia となっていた。レンタカー会社としては乗って帰ってもらえるだけで良かったのだろう。わたしたちにとってはいわゆる、たなぼただった。
その日は10日間もお世話になったJohnson一家と別れて、バンクーバーへ向けて出発する日だった。
わたしたちは彼らとの別れを惜しみ、悲しむよりも、乗ったことのないリンカーンの本革シートやデジタルのメータパネルに夢中だった。なんとも非情なことである。

それでもやはり、彼らに見送られるときはさみしくて、中学を卒業した娘の、
"Good Baaaye! Have a nice Triiiiip!"
という言葉に返事をしようと思っても、胸がつまって声とはならなかった。
手を振ってわかれて、Tim Hortons でドーナツを買い、Trans Canada Hwy. にのった。
タウンカーといえども、わたしたちにとっては高級車である。オートクルーズ、SRSエアバッグ、パワーシート...。メータパネルはデジタルで、スピードはキロ、マイル表示を選ぶことができ、その隣の表示は、トリップメータ、ガソリン残量、平均燃費、瞬間の燃費、無給油走行可能距離などがボタンひとつで切り替わる。同乗者は飽きることがない。運転手は緊張しっぱなし。ハンドルを握る手はしっかり9時15分。
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| 運転手緊張する。の図 |
国立公園の料金所を通過し、ロッキーの雄大な景色に感動しつつ、バンフに着いた。
わたしたちはBanff Ave. の観光案内所近くの駐車場に車をとめ、少し、バンフを散歩した。
さて、再びハイウェイにもどろうと、駐車場からでるとき、わたしは友人の運転する車の後進誘導をした。友人も左側の窓から顔を出し、左の車にぶつからないように、慎重に下がった。その時、ギギーという音がすると同時に、右隣に駐車していたジープチェロキーがゆれた。
そーっと前に戻り、リンカーンの右前部をおそるおそる見てみると、塗装ははがれていなかったが、10センチ程度、横方向にへこみがあった。少し安心したが、それからは、レンタカーを返すときに修理代をいくら請求されるか、それだけが心配だった。
相手のジープはフットステップに当たったらしく、キズはわからなかったし、アメリカやカナダの人は、車の多少のキズは気にしないので、そのままその場を立ち去った。
その夜はバンフから少し東に戻り、Canmore という町でモーテルを探した。ハイウェイ沿いにはいくつもあったが、Rundle Mountain というドイツ系らしいホテルを選んだ。Wendy's も近くにあるし、ホテルのレストランも店員さんが親切だった。彼らは店員同士ではたぶん、ドイツ語で話していた。
次の日、再びレイクルイーズを見て、バンクーバー方面に走りつづけた。
ハイウェイですれ違う車はキャンピングカーが非常に多く、ボンネット型で排気ガスが上から出る、かっこいいトレーラーもたくさん走っていた。下り坂が続くところでは、ブレーキが効かなくなる車のために、runaway ランナウェイという、山に向かって登る道が随所に見られる。それでベーパーロックを恐れることなく、ブレーキを踏むことができる。
ハイウェイ沿いにDQ(デイリークイン)があると、たいてい立ち寄り、ハンバーガーのセットやバナナスプリットを食べた。
その日はKamloops という町で泊まることにした。カムループスという名前は、そこのインディアンの言葉で、”出会いの場所”という意味があるらしい。
わたしたちは特別な理由もなく、Grandview motor inn に決めた。
モーテルから歩いて坂道をのぼっていくと、Earls (アールズ)というレストランがあった。カルガリーで泊めてもらったところの娘によれば、Earls は若い人たちに人気があるらしい。店内に入ると、確かに活気があった。
わたしはレストランにハンバーガーというメニューがあることを知らず、珍しいと思って、ハンバーガーを頼んだ。メニューには、パスタとサラダがついていると書いてあった。
オーダーをとりにきたお姉さんに注文すると、なにやら、ポテトはいかがですか。みたいなことを言っている。嘉門たつおの「ハンバーガーショップ」でもないのに、なんで。と思い、わたしは”ノーサンキュー”と言った。
お姉さんは申し訳なさそうに、"I am sorry." と言った。
そのやりとりを聞いていた友人は、
「えっ、いらないの?ただでつくんだよ。」
と教えてくれた。
ついてくる物とわたしが思っていたのは、メニューの中から四択で選ぶものだった。お姉さんはポテトなんて一言も言っていないようだった。
わたしはあわててリングイニ(きしめんみたいなパスタ)を頼んだ。
英語がよくわからずに思い込みで返事をしてしまうことで失敗していることに気づかないことも多々あったことであろう。このたびは英語を話せる友人に助けられたが。一歩まちがえばもっと重大なミスにつながることもある。その話は別の時に。
日本人にはとても受け入れられない味のもののひとつに、ルートビアがある。ルートビアは甘みの強い炭酸飲料だが、なんか薬箱のようなにおいがする。
ルートビアで有名なのはA&W 。A&W は缶入りルートビアを販売するだけでなく、ファーストフード店も経営している。
Grandview motor inn から坂をのぼって、コインランドリーに行った。。
洗濯機の使い方がわからず、あれやこれややっていると、独身生活の長そうなおじさんが親切に助けてくれた。
洗濯中の時間、近くにあったバーガーキングでモーニングすることにした。セットのドリンクはわたしはコーク。友人はコーヒー。そして、カナダで10年くらい生活していたもう一人の友人はルートビア。彼はうれしそうにルートビアを飲んでいた。。
カナダ人になりきりたいわたしにとって、最大の障害はルートビアかもしれない。
その時コーヒーを頼んだ友人も、ルートビアを一気に飲み干すことを目標にしているらしい。
カナダ人はルートビアが好きでないといけないのである。
カムループスをでると、バンクーバーまではそれほど遠くなかった。バンクーバー近くなのか、ハイウェイは交通量が多くなってきた。ヒッチハイク禁止エリアの表示も見られるようになってきた。
ダウンタウンに入った。3年ぶりのロブソンストリートはとてもなつかしかった。3年前は一週間しか滞在していないのに。
とりあえずホテルを探してから、ライオンズゲートブリッジを渡り、ノースバンクーバーに行った。
ノースバンでもTim Hortons でカプチーノを飲んだ。
夜、ノースバのビバリーヒルズと称される場所へ。
1軒の家にベッドルーム、バスルームが20室もあるというC$2,000,000.くらいの豪邸が立ち並ぶ丘から、ダウンタウンの夜景を眺めたりして、ホテルに帰った。
その翌日は、いよいよレンタカーを返す日だった。弁償がどれくらいになるか、心配がよみがえる。
翌日、ホテルからダウンタウンを東に行くと、Budgetレンタカーの支店に着いた。従業員は外見をざあーっと見ただけだった。 すべてO.K.。さすがカナダ。小さいことは気にしない。
わたしたちは近くのレストランでモーニングをとった。ホワイトホースのモーニングはハッシュブラウンが山盛りだった。
Jeep とダンスした友人は修理代が浮いた分で、
"It's on me."
と言っておごってくれたかどうか覚えていない。わたしの記憶では、わりかん(go Dutch)だったような…。