バリ島旅行記目次

旅の写真 バリ島

現地係員も知らないホテル?

未知のホテル

マップツアーで予約してもらったホテルは Adhi Dharma Cottages。ツアー広告のホテル欄に「または同等クラス」と書かれるところである。

ABROADのどこを見てもアディダルマなんて写真どころか名前さえ載っていない。地球の歩き方含めどんなガイドブックにも載っていない。どんなホテルなのかわからない。ただわかるのはマップツアーから送られた旅行日程表のホテルの情報、電話番号くらいである。さらにその表の住所欄には番地がなく、ジャランレギャンという通りの名前しか記されていなかった。
ガイドブックを見てバリ島自体の治安に不安を抱いていたわたしに追い討ちをかけるような情報の少なさだった。少しお金を払ってホテルのグレードをあげようかとも考えたが、そんな時間的余裕はなかった。

現地係員も知らないの?

不安にさいなまれつつ、バリに行ってしまった。デンパサール空港で迎えてくれたのは、マップツアーのアロハを着た現地の係員だった。
彼の名はエカブディ。わたしにくれた封筒にカタカナで名前を書いてくれた。
ホテルまで送ってくれる三菱デリカの運転手は日本語が話せないようだった。

ホテルの名前を聞かれたので答えると、彼は、

「そのホテルの場所を知らない。」
という。なんだそれは。不安が増す。

彼の説明によれば、

「日本人は高級ホテルにしか案内したことがない。」
のだそうだ。ましてハネムーンともなればなおのこと。

日程表の宿泊先を見せて確認する。バリには番地がないのか、番地のない住所を頼りに車を走らせる。時間的に薄暗く、町はほこりっぽく、道路もせまかった。

エカブディは日本人がコテージのようなところに泊まることが信じられないのか、アディダルマホテルに向かう。(あとで知ったのだが、同じ系列でホテルとコテージがあり、ホテルのほうが高級。)運転手はアディダルマホテルの看板を見たことがあるらしく、場所の見当はついているようだった。ホテルのレセプションで確認したが、やはりコテージだということだったようで、あらためてアディダルマコテージに向かった。

暴動の恐れ?

コテージのレセプションは通りに面したレストランの脇道を入ったところにあった。チェックインを済ませ、ウエルカムドリンクと朝食のクーポンをもらい、エカブディの説明を聞いた。彼はH.I.S.のオプションツアーも紹介してくれた。

ところが、彼は大切なお知らせも持っていた。

その文書によれば、わたしたちの旅行期間の初めの頃に、「3日間にわたりメガワティ系民主党(闘争民主党。メガワティさんはインドネシア初代大統領スカルノの娘。)が、バリのサヌールという地区で党大会を開催する」というのである。

なにもわたしがインドネシアの政治に干渉するつもりはないのだが、それはわたしたちにはおおいに関係のあることだった。

その期間、「同党支持者の一部が暴徒化し、多少の混乱が生じる可能性が伝えられております。」と記されているのである。

それで党大会初日はほとんどのオプショナルツアーは中止、ラフティングとDEWIマッサージ(内容はよくわからない)は3日間中止になっていた。さらに、

*外出の際には集団、または群集の集まる場所へは近づかないようにしてください。

*党大会の開かれる3日間はホテル内にてお過ごしいただくことをお勧めします
などとも書いてある。絶好のタイミングにバリに来てしまった。
all red こんな雰囲気でした

部屋にねずみ !?

わたしたちはホテルスタッフに案内されて部屋に行った。部屋は2階建ての最上階にあった。

ホテルの人がカギを開けて入ると、

カタカタ・・・・と、room No.135
タイルの上を走る爪の音

部屋の中を見ると、体長15センチほどのねずみが、床上40センチくらいにある窓から逃げようとして跳びはねていた。

ねずみもホテルの人もびっくりしていたはずだが、わたしたちはびっくりどころではない。

スタッフはその窓のところまで確認に行って、苦笑いしながら、「もう大丈夫。」みたいな感じでわたしたちのほうを見た。

わたしはともかく、その状況を見た妻は発狂しそうになっていた。

それでも二人ともなんとか部屋に入った。しかし、ウエルカムドリンクのチケットを使うどころではなかった。

彼女はねずみによるショックで泣いていて、わたしは慰めようもなく、

「どうしてもいやだったら、明日帰ろう。」
と言うことしかできなかった。

next翌日帰国? 続きは アディダルマコテージ

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