
これは忘れたい出来事である。それは警戒していながら詐欺にあってしまったことである。
バリでは町を歩けば、あらゆる店でそれぞれ独自の外貨のレートを表示したExchange Rate Authorized MONEY CHANGER と書かれた看板を出している。レートは日ごとに書き換えられる。
バリに着いてすぐ、空港の銀行で両替した。1万円が75万ルピアほどになった。
2、3日後そろそろお金がなくなったので対円レートの一番よいところを探して、現地で購入したいまいちフィットしないナイキ(たぶん偽物)のサンダルをはいてジャランレギャンを早足で歩き回った。
たくさん歩き回った割にはホテルから数十メートルも離れていないところがレートが一番よかった。
その店は内装がきれいな白の、ブティックのようなところだった。見た感じ、危ないところではなかった。ちなみにそこのレートは\1=Rp.85くらい。つまり1万円が85万ルピアほどになる。
店に入ると、両替カウンターにやってきたのは闘争民主党の赤いベレー帽のようなものをかぶった若いお兄さんだった。ちょっと怖かった。
一万円を見せると、電卓を出して数字を打った。一度桁を間違えたが、打ち直した数字は外の看板と相違なかった。
私がうなずくと、彼は めんどくさそうに1万ルピア札を数え始め、10枚ごとにわたしに渡した。わたしは、全部そろってからもらおうと思い、数を確認してから再びカウンターの中ほどに札を重ねた。
途中、店の奥から10歳くらいの女の子も出てきて、カウンターのそばで、様子を見ていた。そろそろお兄さんが数え終わった頃、その女の子が電卓をわたしに見せた。
85,000と表示されている。私に何か話し掛ける。どうも85,000だから15,000よこせ。と言っているようだ。
何を わけわかんないこと言い出すんだと思い、また桁を間違えさせようと思ってもそうは問屋がおろさないとばかり、
「ちがうよ。」
と日本語で言ってあげた。そのやり取りの間、お兄さんは85枚ほどの1万ルピア札を揃えてくれていた。
1万円を置いて、サンキューと言って帰った。インドネシア語では「ありがとう」はトゥリマカシーなのだが、つい使いそびれてしまう。
わたしはだまされなかったことを勝ち誇り、走り回って一番高いところを探したことに 深く満足して喜び勇んで、妻の待つホテルに戻った。
札束を妻に渡し、わたしは、走ったために足の小指にくつづれができたのをいたわりながらも、苦労して探した様子を語った。わたしがうれしそうに話しているのを聞きながら妻は札を数えていた。
ところがなんと、65枚しかないというではないか。
たぶん顔面蒼白になりながらわたしも数えなおしてみた。やはり20枚足りなかった。
わたしが子供に気を取られていた隙にお兄さんは20枚手元に落としたに違いない。というよりもあの子供はただわたしの注意を引くためにわざとわけのわからないことを言っていたのだ。
敵ながらあっぱれ。などと褒める余裕はなかった。十分警戒して、相手の策略にはまらなかったと思い込んでいた自分のかっこ悪さと、いやいやながら85枚数えるお兄さんに すこし同情してしまったことに後悔する気持ちで、気がつくとベッドで落ち込んでいた。
気を取り直してもう一度、その店で両替して、こんどこそは本当に勝ってやろうと思ったものの、やはり、百戦錬磨の彼らに対して、わたしは のほほんとして生きてきたので、もう一度違う手にひっかかってしまうことを恐れて、やめた。
授業料としては安すぎるかもしれないが、生活が苦しいとはいえ詐欺などでおいしい思いをしている彼らの将来を案じてしまうのであった。